2003年09月02日
川俣晶の縁側辛口甘口雑記 total 2125 count

時には愚痴のように: 大量の文書を一気に扱う技能価値は低下したか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 ついさっき、さる原稿の手直しをしていて、あるキーワードについての補足説明を全て削除する必要に迫られました。

 秀丸のgrep機能で、そのキーワードをリストアップして、タグジャンプで場所を見つけながら、内容を確認しつつ削除を繰り返していきました。ふと気付くと、秀丸のウィンドウが20枚ぐらい開いています。

 昔は、こんなに多くの文書を開いておくのは無理だったな、とちょっと感慨深くなりました。確か、(記憶があやふやなので間違っているかもしれませんが)、昔のMifes(1.42のあたり)やVz(1.0や1.5)は同時に10ファイルぐらいしか開けた無かったような気がしますし、画面も2分割ぐらいがせいぜい。ほとんど意識することなく、数十ファイルを同時に開いて扱うことが当たり前になった現在は、昔から見れば夢のようかも知れません。

 と、そこで別のことを感じました。昔なら、grepなどのツールを駆使して一気に数十ファイルのテキストを扱うというのは、かなりのスキルを要する作業で、それができると他人を感心させることができたり、桁違いに素早く仕事を終了させてあっと言わせることができたものです。

 しかし、今となっては、この程度では誰も驚いてくれません。同じことをやって見せても、やって当然ということにしかなりません。

 そういう意味で、PCの高性能化、高機能化が進んだ時代というのは、今ひとつ面白みのない時代と言えるかも知れません。

 しかし、面白くなくなったから面白くない、という結論で終わることは、それ以上に面白くないことですね。

 やはり、もっとあっと言わせるだけのもっと高度な何かの技を開発していく努力を惜しむべきではないと思います。いつまでも、grepとタグジャンプぐらいで喜んでいてはいけませんね。